3月27日 31日目 最終日
話は前後しますが、結願した後の大窪寺でハセガワさんという男性に出会いました(以前登場したハセガワさんとは別)。この方と夜の暗がりの中を一緒に歩くことに。
しかし、最後の最後にものすごい濃い方と出会ってしまいました。
このハセガワさん、オカリナを吹きながらお遍路をしている方で、なんと四国に来るのもオカリナを路上で吹きながらお金を貯めて来たとのこと。それだけで1ヶ月くらいを費やしたというのだから、すごい人です。旅の経験も豊富な方で、自転車で日本一周をしたこともあるとか。
そんなハセガワさんですが、宗教方面も独自の考え方を持っているらしくいろいろな苦悩を話してくださいました。お遍路を始めたはいいものの、なにか悪い気にやられて愛媛でしばらく同じ場所にい続けたとか、般若心経がうまく読めないから練習したいとか、とにかくボクから見ても飛んでる人でした。
そして彼が出した結論は、もう一周行って来るとのこと。しかも、自分を追い詰めたいから、何も持たずに行くと。着ている服とオカリナだけ。・・・無謀にも思える行為ですが、過去に前例がないわけではないんだそうです。確かによくよく考えると日本で餓死する人ってあまり聞かないです。でもだからって、そうそうできることじゃありません。無事を祈るばかりです。
ハセガワさんとは夜遅くにお別れしました。別れる際、オカリナで一曲吹いてくださいました。ハセガワさんは「まず、手始めに1週間山に籠る」そうです。山の中で般若心経とお経の練習をするのだとか。
ハセガワさんとお話して、なんだか自分の未熟な部分を見透かされてしまった気分です。結願することを目標に歩いてきて、その中でいろいろと感じるものはあったと確かに思いますが、本当のお遍路って何かを感じるためにあるもんじゃないんですよね。ボクの遍路なんてスタンプラリーと揶揄されても反論できないもののような気がします。
だから、もし、もう一度お遍路をする機会があるとしたら、今度はお参りするということだけを念頭に周ってみたいと思っています。歩ききることが目標とならないような参拝をしてみたい、そんな風に思いました。
長くなりました。歩き続けて午前3時。ようやく板野駅(3番のお寺の近く)まで帰ってこれたのでここで寝ることに。
朝の板野駅。
ちょっとだけ仮眠をとって1番の寺へ向けて再出発。
1番霊山寺
ついに、帰ってきました!!30日前に初めてここでお参りしたときは、ろくにお経もとなえられなかったボクですが、一周してくるとさすがに少しはまともによめるようになっています。これも一種の成長。納経所で結願の筆を入れていただきました。しかもお接待で数珠を頂きました。(この数珠は魔よけと自分が遍路したことをわすれないために今でも腕につけています)
長らくお世話になった白衣ともここでお別れ。折りたたんでリュックへ。
お遍路が終わると、本当は和歌山の高野山へお礼参りに行くべきなのですが、それはまた今度の機会にすることに。なのでこれで、ボクのお遍路は一応おしまい!
四国には32日いたことになります。いろいろな思い出をありがとう!!またいつか来たいと思ってます!
電車で実家の埼玉に帰ります。板東駅から高松方面へ。実は前もって青春18切符を買っておいたのだ。
高松駅。
時刻表をみると今日中に帰れそうなので、ひたすら乗り継ぎ、東京を目指す。
高松、岡山、姫路、米原、豊橋、熱海などを経由、秋葉原から日比谷線で帰宅。
それでも、電車内で結構話しかけられました。おば様がたから「お遍路さん?」と話しかけられたり、おじさんから「中国には89番目の札所があるんだぞ」という本当かどうかわからない話までいろいろ。菅笠と金剛杖もってると嫌でも目立つねw
そして午前12時半ごろ。
母親に写真とってもらいました実家にも無事に帰ってくることができました。大きな怪我もなく、病気もなく無事に帰ってくることができて良かったです。
これで、本当に本当にお遍路の旅はおしまい!