3月20日 24日目

昨日の夜は寒かったので朝からがんがんと動いて体温をあげる。

今治市もお寺イパーイ!朝7時の納経受付開始時間にはお寺に。


54番延命寺「ばっちこい」


55番南光坊「うおっしゃ」


途中、今治駅を通過。駅舎は新しく綺麗だった。


そして、春の選抜に出場している今治西高校脇を通った。やはりグラウンドが立派でした。

このあたりはお寺が多い。すぐに次のお寺。


56番泰山寺涼宮ハルヒの憂鬱っぽく」

泰山寺では遍路のおじさんたちの写真を撮ってあげて談笑してみたり。それにしても今日はいい天気。晴天。こんな日は気持ちがいい。


57番栄福寺「どすこい」

栄福寺では「きつつき」が木に穴を開けてるところを間近で観察。ちょっと感動。

栄福寺をすぎるとちょっとした山登り。


今治を望む。


58番仙遊寺「月に代わっておしおきよ」

仙遊寺でお昼ご飯。コンビニでかってきたパンを食べる。パンとおにぎりが旅行中の主な主食だなぁ。お昼を済ませると山を下って。


59番国分寺うさちゃんピース

まだ結構はやい時間でしたが次のお寺は明日になるし、あまりのぽかぽか陽気なので国分寺のベンチで昼寝してしまった。夜寝ることができないとこうなるよなぁ。

ところがボクの持っている遍路地図によると、明日登る予定の山道が台風によって通行止めになっているとのこと。復旧予定日は過ぎてるものの、やはりちょっと心配になる。国分寺で聞いてみると、「61番のお寺に先に行きなさいな」と軽くあしらわれる。態度がなんだか嫌な感じだったので、遍路道保存協会に電話して状況を確認。丁寧な応対でいろいろ教えていただいた結果、現在は復旧済みで通行可能とのこと。国分寺への不信感が積もる。

明日は山登りなので登山口まで移動することにする。登山口に東屋があって、そこで寝ることができるという話をきいたから。


明日はあれを登るのかなぁ。

しかし、思っていたような距離をあるけない。暗くなってきてしまった。心細くなっていると、お接待を頂く。やはり暗い時間に歩いてると心配になるんだろうか。声をかけられ、車に乗らないかと誘われた。ありがたいながらもお断りして歩き続けていると、同じおじさんが車で追いかけてきてくれ、なんとお弁当を。

そして、後で気づくことになったのですが、そのお弁当にはこんな手紙が添えてありました。

「息子の供養の心です ご無事の結願を祈っております」

複雑な気持ちになりました。そしてとても感謝しました。お接待をして頂いた方の気持ちを大事に受けながら、ボクは結願まで頑張ろうと強く思いました。


さて。その後しばらくすると、ふたたび違うおじさんから声を掛けられる。やはり「こんな時間だから乗ってけ」とのご好意。やはり、ありがたいながらもお断りさせていただきました。すると追いかけてきて「東屋でねるんだったら、もう、うちで寝てけ」とのこと。

ということで自転車屋さんを営むおじちゃんの家にお邪魔させていただくことに。しかも定食屋に直行、たらふく食わせていただきました。

そして、70過ぎなのにこのおっちゃん、「パソコンが趣味」というハイカラ。海外のサイトから映画とか音楽をダウンロードしまくってDVDやCDに焼き、お得意さんに配ってるらしい。すげぇ。すげぇけど犯ざ・・・(ry


布団で寝られる幸せは、寒さに凍えながら寝ない限りわからない。

最後におこづかいまでもらってしまった・・・。頭があがりません。本当にありがとうございます。

3月19日 23日目

やはり飲みすぎで少し目が腫れぼったいけど7時すぎには動き始める。


昨日、おっちゃんと飲みに来たお店。明るくなってみれば、なんとコーヒー屋と書いてある。真夜中は別の顔

泊まった中華屋から歩いてすぐの51番。


51番石手寺ひぐらしのレナっぽく」

石手寺は境内も広く雰囲気の良いお寺でした。朝のお寺の雰囲気ってすごく好き。

そしてそこからちょっと歩くと松山は道後温泉


なにやらものすごい建物。近づいてみると・・・


道後温泉

千と千尋の神隠し風呂屋みたいだ。歴史を感じる建物です。朝からお風呂も良かったのですが今日は私用があるために先を急ぐ。まぁ、観光名所は歳をとってからでも来ることができるだろう・・・。

松山の繁華街をこえてだんだんとまた田園風景になってきたところに次のお寺さん。


52番太山寺よつのはの「のの」っぽく。うみゅー」

続いて2、3キロほど進む。


53番円明寺「3人で!」

ここで、放課後魚類倶楽部の方々と合流しました。なんのことはない、ただの大学の同期です。福岡が本拠地なので召喚してみました。写真でボクの左にいるのが鱒で、右が鰻。


2人は鰻のマーチで駆けつけてくれました。ありがとう。

せっかくなので、一緒に昼飯。車でブーンと走ってラーメンのお接待を戴きました。本当に感謝。二人ともありがとね!彼らは飯を終えるとすぐに九州に帰って行きました。なんて忙しい奴らだ。

車で円明寺まで戻ってもらい、再びスタート。久々の海沿いを歩く。次のお寺までは40キロ程あるので今日はもうつかない。寝る場所を求めてさまようのみ。


海ダナー。

今治に向かってひたすら歩く。暗くなってもなんのその、結局9時すぎまで歩いてしまった。これといった寝場所がなさそうなので、海浜公園で野宿することに。


正直、浜風が堪えるけど、寝てやるぜっ!ベンチをくっつけて寝る。

しかし、やっぱりものすごく寒い・・・。

3月18日 22日目

寒くてまったく寝れず、まだ真っ暗な5時前から歩き始めてしまった。朝から峠を登り下り。久万高原に別れを告げていざ松山へ。


朝焼けの中を歩くのは結構久しぶり・・・か?


松山が見えてきたぜ!

道中、今日は日曜日ということで出歩いてる人が多く、お接待のオンパレードでした。峠を越えたところにある坂本屋という接待所で声を掛けていただきお接待をいただく。


坂本屋。かつて遍路さんの休憩所だったそうだが廃屋になっていたそうです。地元の方がお接待所として復活させたのだとか。ここのおじさん曰く「もう、ここからだとあと10日くらいで終わるね」とのこと。昨日まともなものを食べておらずよほどひもじそうな顔をしてたのか、ごはんに味噌汁、奈良漬け、更にあんこ餅を4つも戴いてしまった。さすがに満腹。

さらに歩いていると農作業してるおじちゃんから、「もってけ!」と飴をいただく。不二家の飴。この時期不二家はホットな時事ネタだったので、すこし笑ってしまった。もちろん何の不安もなく食べましたけど。

道中にあった弘法大師ゆかりの石。


網掛け石。なんでも大師様はこの石を網に入れて運んでたとか・・・。

民家が増えてきたところに次の46番のお寺。


46番浄瑠璃寺「サタデーナイトフィーバー」

ここ浄瑠璃寺で納経帳に記帳してくれたおばさんはとってもいい人だった。「ようこそ、お四国参りへ」と歓迎してくださり、歩き遍路をしているボクを褒め、励ましてくださった。ここまで気持ちのいい窓口の方も珍しい。大概は書いてもらって、お金渡しての事務作業として扱われるのに。高感度高いです、浄瑠璃寺さん。

さらに、境内では五目寿司のお接待をいただく。地元のボランティアのおばさん。すこし話し込んで仲良くなったので、写真なども撮らせていただいた。


みんな、本当に親切な方です。

ここからはお寺が続く。


47番八坂寺「あいーん」


48番西林寺よつばとにこんなポーズあったよね」

天気も良くなかなか順調に歩けそうなのだが、食べ過ぎたせいで胃がもたれてきた。胃がきりきりと痛み、本気で吐きそうになる。お接待の受けすぎで吐きそうとか、罰当たりもいいところ。しかし本当に苦しくて歩けなくなってしまい、ベンチで1時間以上休憩。したら、今度はお遍路をしているおばさんからオレンジのお接待をいただく。さすがに今は食べられないのでカバンにしまいました。

なんとか回復してきたたので、再び歩く。


49番浄土寺「ども」


50番繁多寺「そりゃ」

今日はここまで。数日間風呂に入っていなかったので、近くの温泉につかってゆっくり。この頃には胃も全快、むしろ空腹に。

しかし、松山はそれなりに大きい街なので野宿場所に困る。人が多いところで寝るとやっぱり迷惑だし。どうしようか迷ってると1軒の中華屋を発見、まずは腹ごしらえと立ち寄ることに。するとここでもお接待が!なんと、お店の座敷で寝て良いとのこと。しかも布団もってきてくださった。なんてあり難い・・・。

更におじちゃんからビールをご馳走に。話がはずんできたら、物足りなくなったのか今度は「飲みに行こう」と誘われ近場のスナックへ。常連さん相手の小さなお店。カウンターでママとも話ながら結局ジョッキで3杯。おじちゃんの店で2杯飲んだ後だったからさすがに酔ってきた。

酔っ払いながらも話してみると、このおじちゃんなかなかのすごい方で、日本や世界をいろいろ旅行したらしくとても詳しい。中華屋だから中国には何度も行ったらしく、歴史もよく知っていた。これからの日本のこともいろいろと考えていて、孫にはアメリカ人の家庭教師をつけて英語教育をさせてるとか。話をしていて、とても頭の良い人だという印象を受けました。

酔ったおっちゃんはカラオケしだした。なかなかひょうきんなのか。12時すぎにはお開きにして帰宅。


中華屋の居間で就寝。うげぇ、明日歩けるかなぁ。

3月17日 21日目

今日は気合いをいれて山登り。


朝から一人でノリノリ。

本当は朝4時くらいから県道を歩いて、明るくなりはじめる頃に山道にはいりたいな、なんて意気込んだけど結局だらだら寝て8時に出発するヘタレっぷり。体が疲れていたんだ、という言い訳。一緒だったハセガワさんは朝早くに行ってしまった。まぁ、あとでたぶん合流できるだろう。


晴天の中、いざ山へ。

気合いをいれて標高700の峠を越える。


ひわ田峠。ここはお大師様が通った際、数日間の雨がこの場所でやみ、「日よりだ」とつぶやいたことからそれがなまって「ひわた」と名づけられたそうです。

そしてようやく久万高原へ。昼2時ごろにお寺に到着。


44番大宝寺「まーわーるぞ」

44番目ということで、お寺もこれでようやく半分。境内にてハセガワさんと再会。お勤めを済ませると時間は2時半という、次のお寺に間に合うか否かという微妙な時間。納経所のおばさんの話だと、ちょっときついとのこと。まぁ、でも、途中まで間に合いそうなら頑張ってみますわ、と出発することに。


再び山道に身を投じる。45番への途中には「八丁坂」という険しい坂も。ちょっと急ぎ目に歩いたら、息があがってどうしようもない。

本当にぎりぎりになりながらも45番のお寺に到着。ここのお寺は岩場にあってすごい良い雰囲気。


建物のすぐ裏は絶壁です。


まさに霊場って感じでした。


はり出す岩と遠くに見える山。

45番では一昨日一緒に泊まった東京のナカタさんと、春日部のカシワバラさんと再会。彼らは今日は近くの民宿に泊まるそうな。

改めて、お勤めも終わり。

45番岩屋寺「ロザリオ!」

夜は昨日や一昨日一緒だった人たちと打ち合わせ、バス停で一泊することに。ハセガワさんも追いついてきた。ハセガワさんの紹介で知り合った初顔のショウジさん、そして一昨日一緒だったヌマタくんとボクの4人。


バス停は扉がついているのでちょっと嬉しい。しかし標高が高いのでものすごく寒い。しかも各々みんな物資不足でとてもひもじかった。ボクも急いでいたせいで夕食を用意していなかった。すると近くの民宿に泊まっているナカタさんとカシワバラさんが差し入れをもってきてくださった。狭いバス停の中でまるで修学旅行のような雰囲気ができあがる。


これがバス停とは思えない!

年が近い人たちの集まりなので、とても楽しかった。狭い中に集まったこの夜の語らいは本当に良い思い出。こういう経験は普段そうできるもんじゃない。素敵な時間だった。

さて、明日は山を下って松山へ。

3月16日 20日目

朝5時50起床。早すぎるけど、みんなが起きたのでボクも眠い目をこすりながら起床。


絵に描いたような朝食。涙でそうだわ。

ボクはゆっくりしたかったので、みんなが朝食を終えた後も一人コーヒーをすすって、みんなの出発を見送り。でも、みんなと一緒にお会計するのがいいかなと思ってお勘定だけは済ませた。

・・・しかし、これが悲劇の幕開けとなる。

いざ出掛けようとその旨を伝えると、なんと「お代をもらってない」と言われる。これにはびっくり。確認してもらったがやはり一人分足りないと言われてしまう。ええええええ。確かに払った。みんな払ってたから、二度手間にならないように一緒に払った。記憶はある。

それでもやっぱり気分が悪いから「もう2000円払います」と申し出るも、勘違いかもしれないからいらないと断られた。が、明らかに疑ってる目でボクを見ていたので、後味の悪い出発になってしまった。うーん、おばちゃんの勘違いだと思うんだけどな。出発しても気分がはれない。

どうしても気持ち悪いので、ええいと戻ることに。こっそり書き置きとともに2000円を置いてきた。2000円ていったら1日の生活費に匹敵する金額なのでちょっとだけ懐が痛んだけど、まぁ、嘘つき扱いされるよりはいいかなと思う。でもこうすることで自分に酔ってるだけなのかも、とか歩きながらいろいろ考えてしまってテンションは低い。しょうがない。

歩いて10分のところにある43番のお寺。

43番明石寺「左右左右左左右右」

曇り空ではあるものの、昨日の雨は止み、むしろ歩きやすい感じ。次の44番は久万高原という山の上になるなので今日はその途中まで。大洲、内子あたりを歩いた。


大洲の旧市街の町並みはなかなか。城下町って感じだ。


大洲城

大洲を抜けていくと、別格の十夜ヶ橋という非常に有名なお寺に到着。

ここはかつて大師様が寝る場所に困り橋の下で寝たところ、橋の上を歩く人の杖の音がうるさくなかなか眠れず、一晩が十日にも感じられたという有名なエピソードの場所です。お遍路をする人が橋の上では杖をついて歩かないのはこれに由来しています。


お大師様に倣い、失礼とは存知ながらも同じように寝てみました。上は幹線道路なのでとてもうるさい。

十夜ヶ橋は大きな道路沿いにあり、この近くにはマクドナルドもあるしお風呂屋さんもあるしで、泊まるには申し分ない場所なのだが、今日は先を急ぐことにしよう。

つづいてやって来たのは内子。小さな町ですがものすごく美しい町です。古い建物が多く観光地にもなってるのだとか。


図書館でこの貫禄。

もう大分薄暗くなってきてしまったので、本当に先を急ぐ。内子を離れるともう山と山の合間を歩く静かな道路。外灯がぽつりぽつりとしか無くて、けっこう怖い。ライトを照らしながら進む。

本日のお宿は遍路無料宿。

宿とは名ばかりで、納屋に布団がおいてあるだけのところです。善根宿さんです。もちろんありがたく使わせていただきました。昨日一緒したハセガワさんと2人で泊まることに。ハセガワさんは20才の女性の方。一人で泊まるのは不安だったからボクと一緒できて良かったとのこと。おぉ、信用されてる!!


でも、納屋はけっこう寒かった。

3月15日 19日目

歩き出して30分くらいで雨が降り始める。しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。雨は嫌だなぁ。


宇和島を望む。鉄塔の左側にちょっと見えるのが宇和島城


宇和島市内にある別格の龍光院。たまには別格のお寺にでも。

今日は西予市まで行くつもりなのだが、雨、雨、雨で心も体もぐっしょり。正直、今までの行程の中で今日が一番つらかった。濡れるのも嫌だけど、とにかく寒いし、寺でのお勤めも雨だとまともにできずもどかしい。それでも遍路は修業、雨だろうが立ち止まってばかりはいられない。

山門のない41番のお寺。

41番龍光寺「うりゃ、ヲイ」

団体さんと遭遇、「雨の中ご苦労様」という目がなんだかつらい。ズボンも靴もぐしょぐしょ、リュックもしみてきた。寒い。ものすごく寒い。凍えた手で線香や蝋燭をあげる。


42番佛木寺「ローマーンース」


今日は写真を撮る余裕がそれほどなかったので、お寺の写真を載せます。

佛木寺をすぎるとふたたび峠。うねうねと道を登るって山道へ。獣道。さらには鎖場。雨で凍える手で鎖を握り、急な斜面を登りました。なんだかいろいろとしんどかった。

峠をこえるて川沿いを市街地へ向かって歩く。今日のお宿は西予市の「宇都宮」さんというお宿に。ここは2000円で2食いただけるという、おかみさんが半分趣味でやられている正式ではないお遍路さんのお宿。佛木寺に連絡先があるので、そこで一度電話して了承を頂いてから伺います。

今日一緒になったのは、年の近い4人の方々。うち一人は春日部市民ということで隣の越谷市民であるボクとはローカルな話題も。


宇都宮さんと5人の若者たち。一番キモイのがボクだというのは言わずもがな。

びしょびしょに濡れた服や靴を綺麗にし、風呂に入り、洗濯をして、食事を頂いてサッパリ。日中あんなに辛かったのが嘘みたいだ。本当に感謝しなくちゃいけない。

当たり前にできると思ってる生活が本当にありがたい。そりゃ、自らを非日常に向かわせてるわけだからそう感じるのも当然のように思うけど、人間の生活がいろんなものに支えられているっていうのが改めて感じられる。

3月14日 18日目

雨風はしのげても寒さはやっぱり。お地蔵様にお礼を言って、出発。今日は愛媛県入り。愛媛は「菩提の道場」。今まで徳島「発心の道場」、高知「修行の道場」と越えてきて3県目に突入。

しかし今日は気分がのらず。歩いては休み、歩いては休みしてしまった。普段なら3時間くらいは休憩なしでも歩けるんだけど。なんとなく気だるい感じで距離が伸びない。

それでも40観自在寺に。愛媛最初のお勤め。ここら辺も寺と寺の間が50キロくらいなので、最近は1日に1寺。


40番観自在寺「うりゃ、おい!」

しかし観自在寺というくらいだから本尊は観世音菩薩かと思いきや、薬師如来というフェイント。ご真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」。この辺りまでくると、お経や真言もかなり覚えてしまっている。


観自在寺を越えて歩いていると面白い看板に出くわした。命名マニアロード。

午後は山登り。やっぱり国道よりこういう山道は静かでおちつく。

ちょっと曇ってるけど、なかなかの風景だった。


ピンキー登場。普通の日記じゃんかYO!と思っていたヲタクのみなさんこんにちは。


なぜかこの山はこういう下ネタの伝説を紹介する看板が多かった。


意味ねー!

と、ネタが多い山だったけど体外は普通の山道。木々の中を歩きました。そして一人で植生の緑色の光の中にいると、いろいろと物思いに耽られるのでやっぱり山道は好きです。

下り道には何軒か廃屋があった。なんか気分の乗らない日だったし、こういう寂しい風景に出会ったせいか泣けてきた。夕暮れどきだったのもあるかな。

日が暮れるも、今日は泊まる場所が見つからず。たまたまみつけたスーパー銭湯みたいな温泉施設の駐車場に東屋があったので、あまり良くはないがここで寝ることに。温泉は高かったけど、入ったらものすごくリラックスできた。また明日も歩けそうだ。